伯耆大山・・・写真上中:2014年3月22日、下:同23日、いずれも挾間撮影

伯耆大山(2016.2.2更新)


山 久しぶりの山行」
1971年12月31日行者谷〜別山沢〜山頂1972年1月1日大山寺〜夏山登山道〜山頂〜主稜線縦走(加藤、日野、丹生、染矢、中上、小西、挾間、山辺)
「師走もおしせまった28日、急に小生の乗務する列車が・・・・」 


1973年1月13〜16日主稜線縦走(佐藤、挾間、桂、嘉島、杉崎)
「2月の大山」
1973年2月9〜12日振子沢下降、槍尾根登攀(内田、佐藤、挾間、杉崎) 
「2月9日 約30分遅れの急行「日南」で19:00に大分を発つ。宇佐で内田と合流する。必要以上の暖房で著しく不快である。しかも順法闘争による・・・・」
「大山報告」
1974年1月12〜16日振子沢下降、槍尾根登攀(姫野、内田、佐藤、中上、挾間、桂、御手洗)
「総括 出発間際に新人のHが参加できなくなったので、残るは中堅クラスの粒揃いであったが、結果的には計画を消化できなかった。 この原因は・・・・」

「伯耆大山北壁大屏風岩港ルート登攀
1974年10月11日(内田、挾間)
「古い話で悪いが私が山登りをやろうと思ったのは遠い中学生?の頃と思う。その頃・・・・」



「伯耆大山北壁大屏風岩 豪雪に敗退…」
1975年1月11〜15日(内田、挾間、栗秋) 
「大屏風岩の冬季登攀というはっきりした目的をもって、大分より大山にやってきた。しかし、1月10日に新聞で見た天気図が・・・・」


「伯耆大山北壁屏風岩鏡ルート」
1975年10月31日〜11月3日(栗秋、小田、佐藤)

「屏風岩、大山北壁の中にあって黒々と雄々しく聳え立ち、脆く錐状の風采は屏風と呼ぶには似つかわしくないぞ・・・・」

挾間会員からの便り(2008.5.3):「4月25日〜29日までの5日間、松江に滞在。28日に残雪の伯耆大山に登りました。33年ぶりのことです。・・・・」 


2012年8月25日夏山登山道から山頂往復、26日宝珠尾根から三鈷峰、ユートピア小屋、象の鼻往復

「忸怩たる思いの2013年春山・伯耆大山」
2013年3月15〜16日(挾間、栗秋)

厳冬の伯耆大山を再訪したいとの気持ちが近頃強くなった。伯耆大山は、北アルプス合宿を補完するものとして・・・・」

2014年3月22日元谷〜行者谷、23日夏山登山道〜弥山(一色、小倉、笠置、挾間)

※クリックすると動画が再生されます

「リベンジ2015年春山・伯耆大山」
2015年3月6〜8日(挾間、栗秋)
「“帳面を消す”ということ
 3月初旬という時期の伯耆大山は、厳冬の北アルプス級から、西日本のたかだか1700m級の雪中登山までが・・・・」

伯耆大山、2 年越しのリベンジ成る!〜出雲・松江路周遊を加えて〜 栗秋和彦 New!
2 年前のこの時期、伯耆大山は夏道ルートでもアイスバーンと化して、4 本爪アイゼンは飾りに過ぎず、七 合目付近の急斜面で立ち往生したあげくのまさかの敗退。思いもよらぬ結末にリベンジを誓ったが
「新雪かつ あっぱれ快晴の伯耆大山登山と島根半島周遊の旅」栗秋和彦
2016年1月15〜17日
New!
 「ここ数年、積雪期の伯耆大山とご縁続きだ。13年(3/16)はおごりと慢心でまさかの敗退、昨年(3/7)は山頂からの
・・・・」